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第58話

Author: 狐狸
last update Last Updated: 2025-07-19 11:04:48

そこに現れた青年──オルフェウス公爵は、まるで人の形をした哀しみの結晶そのものだった。

その髪は永い冬の最後の雪のようにどこまでも白く、そして清らか。

その肌は血の気というものを全く感じさせない、磨き上げられた大理石のよう。

あまりにも完璧に整った顔立ちは、この世のどんな芸術品よりも美しく、そして神々しい。

「……っ!」

アイリスは人ならざる美貌に、ただ心を奪われた。

しかし、その美しい貌を見つめているうちに、彼女は気づいてしまう。彼の瞳の奥に渦巻いている、深い絶望と、魂の渇きに。

彼はただ美しいだけではない。その存在そのものが、一つの壮大な悲劇であると、アイリスは直感的に理解した。

やがて、竪琴を奏でていた白く長い指が、ぴたりと止まる。

そして彼はゆっくりと、物悲しい瞳をアイリスへと向けた。

その唇からこぼれ落ちたのは、もう何百年も誰とも話していないかのような掠れた、そしてどこか虚ろな声だった。

「王子から話は聞いている。ようこそわたくしの城へ……生者の娘よ」

その時、それまで静かにしていたバディがアイリスの足元から、ふわりと駆け出した。そして、何故かオルフェウス公の足元へとじゃれつくようにくるくると楽しげに回り始める。

やがてバディは、満足したかのように再びアイリスの足元へと戻ってくると、そのまま床に安心しきったように、ぺたりと寝そべってしまった。

(もしかしてバディは……わたしをここまで導いてくれたのかしら?)

アイリスは不思議な光景に、そう思わずにはいられなかった。

彼女は意を決して、公爵へと向き直る。そして、生者の国で遠い昔に学んだ作法に則り、純白のドレスの裾をそっと持ち上げ、恭しく一礼した。

「オルフェウス公爵。何のご挨拶もなく、かくも突然御前をお騒がせいたしますこと、何卒お許しくださいませ」

凛とした声で、アイリスは言葉を続ける。

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